bon now

ありのままの現実を書き殴る吐き溜め。底辺SEの備忘録。
Written by bon who just a foolish IT Engineer.

僕が白いパンツを嫌いな理由

Created Date: 2015/07/03 21:17
Updated Date: 2023/07/03 19:46

僕はその昔、とある女性に対して「白パンなんて履くなよ今どきコンサバじゃあるまいし」的な暴言を吐いたことがある。 今考えると大変失礼で無礼だから是非謝罪したいけど、今更どうしようもないので償いとして今後も教訓として受け入れていくつもりだ。 まあそんなことはどうでもよくて、どうして僕はそういう発言をしてしまったのか、その頃から早10年弱が過ぎようとしている今振り返って考えてみる。

そのパンツで何をするのか

例えばある日のデートを想像してみる。 その日は何かしら予定を立ててるわけじゃなく、とりあえず彼女とあって楽しい1日を一緒に過ごしたいし、イチャイチャしつつプラトニックラブを満喫したいと思っていたとする。

待ち合わせ場所、待ち合わせ時間の数十分前にその場所へついた男は、期待に胸を踊らせながらソワソワと愛しき女性を待つ。 その刹那、遠目にでも分かる明るいボトムを確認するに至り突然と湧き上がる落胆の感情が、沸々と自身の内部から生まれてくるのを感じてしまうだろう。

なぜなんだ!!

君のその白いパンツはなんでそんなに存在感を主張しているの!? 今日は何をする日だと思ってるんだ!? あてもなくブラブラとしてて休憩がてら洒落た喫茶店にコーヒーの1つでも飲みに寄ったとしたら、 そしてその白いパンツにちょっと跳ねたコーヒーの飛沫が少量でも落ちてしまったら、 君は一体何と言うだろう。 お気に入りのパンツにシミがついたら、その日一日それに気を取られるタイミングが増えるんじゃないかい?それに伴ってカップルとしての会話や行動に支障が出るんじゃあないかい? たったそれだけでお互い気分を害し、楽しいはずのデート後半戦をもつまらない時間とされるのは迷惑ゴメンだよ!

またある時、ちょっとした散歩や観光を楽しもうと思ってデートしていた時、 彼女が白いパンツを履いてきたとしよう。 休憩がてらその辺のベンチや草っ原にちょこんと座ろうと思ったその時を想像してほしい。 存在感を幾重にも増すその白いパンツが「ここに座るとオレは汚れちまうぜ・・・」と主張することが誰にでも分かるだろうし、そもそも目に映るその悲壮な現実が、未来を勝手に予知させてくれるほどの力を持っているのだ。

そう、何をするにもデートの邪魔をし、大切な思い出を悪い意味でぶっ壊すほど迷惑なパンツこそ白いパンツだ。 加えてコンサバ系に属するいわゆる女性人気のある白いパンツってのは大抵スキニーデザインだから、動きづらい、暑い、脱ぎづらいという様々な苦難を兼ね備えた最強の装備品である。 古い話だと星飛馬が全身を大リーグボール養成ギプスで覆っているようなものである。もはや苦行だ。 「ファッションとは我慢である」と偉大なるファショニスタの一部が主張するように、 白いパンツでおしゃれをするというのもその一例であるということができる。 そして受難を被るのは決して白いパンツを履いているものだけにとどまらず、 見る人、触る人、彼女、彼氏、友達、家族、他人、という知覚できるほとんどの具象のモノが対象である。 ここまでくるともはや白パンツは凶器という域にさえ達し、取扱注意もしくは免許制の導入が必要な代物と思う人もいるのではないだろうか。

それは自分勝手が故の過ち

ある程度の誇張を抜きにしたとしても、白パンツを選択すると自分の行動や相手の行動に何かしらの制約を自発的に課すことにつながるということができる。 これをストレートに表現すると、白パンツを履くという行為は自分のファッション感覚と感性にのみ従い、他に配慮するという思いやりを投げ捨てたとんでもない自己中心的行為であるといえよう。

別に仕事で白パンツを履く分には、それが仕事着として誰に迷惑をかけるわけでも無いから良いかもしれない。 もちろんちょっと汚れたとかシワがついたとかで上司や部下に八つ当たりするようなことは言語道断であるが、 そういう人間は白パンツを履くことに罪悪感なぞ感じることはない。 故に、過ちに気づくこと無く自分の好きなまま生きている人間が大半である(と思われる)ため、あまり表面上の問題にはなり得ない。

問題なのは白パンツの危うさを自覚してしまった聡くも可哀想なそれでも白パンツを履いちゃう人間たちそのものである。 彼(彼女)らは、白パンツを履くという行為1つに多大な神経的負担を課してしまうがゆえに、どんどん精神をすり減らす事になる。 そうなると白パンツの着用頻度もどんどん減る。最終的に白パンツを履いて世間を闊歩するのは白パンツの危険性を全く理解していない軽薄で浅薄な人間だけとなり、 白パンツを常用する彼(彼女)らの暴虐無人っぷりが世間一般でより一層目立つようになるため、 白パンツの良いところは繊維の端切れさえこの世に残らない。

世界を変えるための行動

ここまで読み終えた思慮深く崇高なる読者諸君は、白パンツの持つ脅威的な破壊力を十分に理解できたと思う。 理解できなかった方は今一度世界平和について考えてほしい。

さて、我々白パンツに恐れおののく人間に対し、神の救いはあるのか考えてみたい。

結論から言えば、我々白パンツ恐怖症の人間が白パンツを履く人間に近づく時は、そのパンツの値段を確認することが一つの救いの道標であるといえよう。 例えば白パンツが自分でも納得のいく安さであれば、「多少汚れようが対して気にする必要はない」という精神的余裕を 我々は持つことができるだろう。 ゆえに汚れたとしても「また買えばいいじゃん?」と言うことができる。
ただし、これについては「お気に入りだったの!(怒」とか返される可能性もあるので、注意が必要である。 まあ、恐怖症の人間たちに心持余裕ができることは、相互の人生にとっても白パンツにとっても、世界的に良いことである。

逆のパターンで白パンツがTheoryやPRADAとかの高級品の場合は、 できるかぎり履いてる人間との接触を避け、細心の注意を払うことをおすすめする。 無駄に精神をすり減らす必要はない。

また、もし白パンツを常用しているが、本記事を読んで白パンツやべェと思っている諸君らに対しての助言は、 心配性になる前にそのパンツが「その日必要なのか」「履くタイミングは正しいか」を切に自問することである。 未来を切り開くのは双方の相互理解と、世界の認識、そして革新から始まる。 ここまでくるともはや白パンツを履くという行為は哲学である。

僕も白いパンツを履く

こんなことを書いた後で何を言ってんだ的なあれだが、実は僕も白いパンツを履く時がある。 白と言ってもベージュなので、巷に溢れる白とはちょっと違うけどまあそんなものだ。

もちろん白パンツを履くときは本当に重要で本当に必要と思った時だけである。 それを履くことによりお値段以上のものを得られる時と言い換えても良い。 そういう場面が1年に何回あるのと聞かれたら正直にこう答えよう。
「1回もしくは0回」

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