知識は力なり
Updated Date: 2024/01/01 14:47
主題はフランシス・ベーコンの言葉ですが、これ以外にも「無知の知」と唱えたソクラテスが過去にいます。
無知の知を自覚することはともかく、
知識が色々な形で簡単に手に入る現代において、
それが力となり得ることは少なくなってきてる気がします。
言い換えれば、知識を力に変えることを必要としない場面も増えているという感じです。
たとえば、私の専門分野は似非SEと似非PGですので、デザイナーとしての知識は皆無でございます。
とはいえ、UIやUXを具体的にシステム・アプリといった形に落とし込むことのできるスキルは、
その辺のSE・PGerより上だと底辺ながら自負してます。
自分の持っている知識をシステム・アプリなどの形に(一般SEよりは多いであろう数を)昇華してきたという経験があるからです。
要するに現代における知識は、表現することへの力であると思います。
東進予備校の林修先生も、創造力持たずして成功なしと言ってます。
知識を力に変える事ができるのは、創造することと、考えることにおいてだと思います。
きたみりゅうじとかいう元似非IT技術者で、フリーランスのライター・イラストレーターになった人がいます。
彼の著書で「PGは芸術だ」と謳ってた先輩を彼は馬鹿にしてますが、
私は一概に馬鹿にはできないなぁと思いながら読みました。
なぜなら、PG自体は芸術作品とはならずとも、芸術作品の一部分であると私は思うからです。
PGなんて人目にお目にかかられることはほとんどないくせに、
人目に触れるであろう肝心のUI・UXに多大な影響を与える部分です。
つまりPGは、いわば名作の裏に隠れた塗料なのです。
フェルメールの青然りクリムトの金箔然り、1つの作品を完成させる術としての道具でしかないにもかかわらず、
それの影響力は作品の評価そのものにも繋がるわけです。
PGとUI・UXなどのデザインを考えることは、すべて1つの作品を成すための道具です。
だからこそ、それを作り上げるPGerやSEは創造力が必要ですし、
それの礎として知識を力とするための過程が必要になるのです。
単純明快に言えば、知識を力に変えるために以下を出来る人が本当のSE・PGerということです。
「手を動かせ」「想像物を具現化しろ」「知識の蓄積を怠るな」「新しい知識を絶えず吸収しろ」
「感動を考えろ」「楽しいを創造しろ」「考えろ。考えろマクガイバー!」
ということで私は、知識を力とする過程において、
1つの作品(システム・アプリ)を作り上げるという偉業をやってのけるSEやPGerって人たちは、
一種のアーティストだと思ってます。
私は専らコピペ専門です。