貧弱な文書力は進化しない
Updated Date: 2024/01/01 14:47
僕は、このブログを見てくれている人なら分かるように、大した文書力を持ち合わせていない。 一重に文書力といっても、それには小説を書く力とか、論文のようなロジカルな記述ができるとか、 いろいろと種類がある。
もちろん、僕はそれらどの文書力も持ち合わせていない。センスもない。
句読点の打ち方や考え方については、日本語の作文技術 (朝日文庫) という本で一応は体系だてて学ぶことはできた。 でも、それ以上に僕には「文章を書く」という能力に決定的に欠けている。 それが、論理的で段階的な思考の文書表現力である。
今回は、僕のような人間が、なぜ文書をまとめきれないかについて考えてみる。
頭の中で踊る書きたいことをまとめきれない
まず、僕のように直感やそのときの気分で行動する人は、頭の中が整理されていないことが多い。
別の言い方をすれば、何かの処理中に割り込み処理が発生しやすいといったところか。
こういう人間は、文書を書いている途中で「あっ、そういえばこういう話題もあったな」と考え、 結果それを脈絡も無く文書に挟み込む。それゆえ、文書のロジカルさがなくなってしまうのだ。
例えば晩御飯を題材にブログに書こうとしていたとする。 普通に書くとこんな感じになる。
今日は晩御飯を作ることにした。 いつもは近所のスーパーで9時以降半額となった惣菜を2品ほど買って、時折ビールも1本買うのだが、 今日は違う。 珍しく、自炊をしたのだ。 作るのはカレー。もちろんりんご、はちみつは忘れずに加える。
今月の残り3日ほどは、このカレーを朝晩食して乗り切ろう。
さて、次に踊る文書をごらんいただきたい。
今日は晩御飯を作ることにした。 いつもは近所のスーパーで9時以降半額となった惣菜を2品ほど買って、時折ビールも1本買うのだが、 食べたいものが特に無い場合、いつもきまってカツ丼を購入する。 カツ丼には個人的に愛着があって、高校受験当日朝に母に用意してもらったのがカツ丼だった。 それからというもの、僕はカツ丼フリークになった。
高校の頃はあまり外食できるような金銭状況でもなかったし、時間もなかった。 社会人になって自分の自由な時間が手に入るようになると、結構な頻度で外食した。 そして、色々なカツ丼を食べに出かけた。
お勧めはXX食堂のカツ丼。ここのねぎすごく甘い。カツの肉も分厚いし食べ応えがある。でもまあ、今日は惣菜もカツ丼も買わず自宅に帰った。 なぜなら、今日はカレーを作ろうと思っていたからだ。 ここで冒頭に戻って、晩御飯。
今日作るカレーは、いつものようにリンゴとはちみつ入り。 正直言ってリンゴとはちみつを入れないカレーは邪道といわざるを得ない。
あと、ルーはジャワの辛口使ってスパイシーさを上げるのも必須だ。 人間は時として過酷さと辛さを欲する。 カレー食って汗かいて、辛いと騒ぎながら自分を痛めつけても、 そこにある美食の世界を堪能することができるのであれば本望だ。
こんなかんじで、今日はカレーを作って楽しみます。 かしこ。
いかがだろう。 後半の文書は、カツ丼を宣伝したいのかカレーをメインにしたいのか、 それとも自分の食に対する信念を主張したいのかさっぱりわからない。 まあ、この程度であれば時系列がそれほど狂っていないため、まだ分かりやすいかもしれない。
次に、時系列すら狂った例を挙げよう。
今日は晩御飯を作ることにした。 作った後に気づいたが、カレーばっかり3日朝晩食べ続けるってのはツライもんがあるな。。。 いくら好物であるとはいえ、半ば苦行に近い。
そういえばいつもは惣菜を買って帰るのに、今日はカレー作ろうと思ってたからやめた。 昔は暇さえあればカツ丼食ってたけど。 まあ、はちみつもリンゴもいれたし、とりあえず3日は頑張れると思われ。 かしこ。
まず目に付くのは、カツ丼のくだりで書かれている「昔」がいつなのかが、 時系列が滅茶苦茶なため分からない。 さらに、カレーに加えたはちみつとリンゴの件を末尾に持っていってしまっているため、 長い文章になると何のことを言っているのか分からなくなるだろう。
このように、「思いついたまま、気が向いたまま」文章を書くととんでもないことになる。
なお、この癖は小学校時代の国語の成績に既に反映されており、
自分が心配な場合は、親に聞いて小学校時代の通知表を見せてもらうと良い参考になる。
主語述語ではなく、目的語が使えない
先述した文書で問題なのは、時系列だけではなく「目的語がない」ことも挙げられる。
目的語の抜けが発生する原因は、主観で物事を文書化しているからである。
これは意外と会話で多い現象である。
例えばこんな感じ。
A「テレビのリモコンどこやった?」
B「置いたよ」
A「えっ、置いたの? 床じゃなくて?」
B「うん、置いた」
もはやワケがわからない。
これは、AとB両者ともに自分の行動や思考を主眼にして会話しているために起きる目的語の欠落現象である。
文書力の無い人間は、自分の書いた文書に対する客観的視点を持ち合わせていないため、
文書においても同じような現象が発生しやすい。
これは、単純に文書に慣れるということが重要なのではなく、
直感系人間の思考の癖だということを理解いただきたい。
つまり、意識しないと直らないのである。
まとめ
内容が短いけどまとめると以下。
- 文書力は後から技術的に磨ける部分とそうでない部分がある
- 他人を意識することを忘れない
なお、そもそもの基礎文書力が低い場合、進化することはない。 これは、いくら頑張っても進化系のないポケモンのカモネギは、 レベルを極限まで上げてもやっぱりそのままだということに等しい。