個人の裁量にどこまで任せるか
Updated Date: 2024/01/01 00:26
転職してだいたい1カ月が過ぎた。そんでもって夏が終わりそう。
こういう時期に夏影 聴いちゃうとかなりのノスタルジアに襲われてしまう。
たとえパッとしない学生時代だろうが人を傷つけ人道上問題を起こしていようが、
様々な思いは時を超え、現在の当人へダイレクトに感情の高ぶりを促す。
願わくばこれから先の安定と幸福を願いつつ、過ぎ去った時間の儚さに思いを馳せる。
で、話は突然変わるのだが、それなりに規模の大きい企業で働いていると、
良い意味でも悪い意味でも仕事の範囲はおのずと決められる。
決められるというか、役割分担というか、作業のやるべきことの明確性が大変求められる。
なぜかというと個人間あるいは組織間での責任範囲とか、作業範囲がきっちり決まっているからで、
それは組織の予算とか利益計上に大変影響があるためである。
もっと簡単に言えば、どっかの誰かがトチってもそれをカバーできるようある程度の分業化が
勝手に出来上がっているということ。専門用語だとリスク分散というのかな。
リスクを分散させるにはそれなりの規模で個人や組織にちょっとずつ分配していく方が効率が良く、
それは属人性の排除にもつながってくる。世間ではよく言われているように、
大企業では意外と自分がいなくなったとしても仕事は回るし何も変わらないというやつだ。
そういう風にして大企業は多額の資産をいい感じに分散して投資し、利益を増やすよう信託をやってる感じ。
でも、ベンチャー企業や零細企業、個人営業など関わる人が少ない場合、そういうわけにはいかない。
人そのものに利益だとか責任が結構乗っかってくるので、1回の失敗が組織を揺るがすような事件に
なってしまうことも少なくない。
悪徳零細企業で経営者が失敗を認める風に装いそのまま計画倒産するとかいうパターンを考えてみる。
これは個人の裁量が仇となって組織全体に悪い意味での「なんとかできない」感が背景にあるんじゃないかと思う。
というのも、どんなにあくどいやつだって自分がせっせと頑張って作り上げた会社を潰すのは辛いことだと思うからだ。
保身に走ってしまう原因には、やっぱりそこに個人に任せたが故自分にも火の粉が降り注いできたという、
ある種の被害者意識があるからじゃないだろうか。
そうこう考えていると、じゃあベンチャー企業の裁量をいい感じにするにはどうすればいいんだろうと思ってしまう。
大切なのはやっぱりチームワークであって組織の力だろう。
そういう観点から、裁量は小さいながらもチーム単位でリスク分散されるべきだし、
個々の責任やタスク、作業範囲の把握は重要なポイントだということもわかる。
昔から僕が考えているように、小さな企業にもよりミクロな組織が存在していて、
そこに1つの社会性が存在する以上それをベースとして合理的に仕事が行える環境を整えなければならないと思うわけだ。
じゃあ合理的にするにはどうすればええのん?という話になるんだけど、
これは例えばシステム開発の場合アジャイルだったりペアプロだったり、
「一人でやるんやで」という感覚を無くし、組織的な行動指針やフローを確立していくことだと思う。
答えはずーっと前からわかっているんだけど、僕自身が担当という役割だったり目の前のタスクにいっぱいいっぱいだったり、 そもそも自分以外の誰かに啓蒙するのめんどくさかったりでやってないから、脳内で自己完結した自分宛のシンパシーとして終わってる。 是正しなきゃいけないとは思いつつ、考えるだけ考えてるからいいやーと思ってしまう。 本当は、正しさや方向性、共感や異論、専門性やその他もろもろの思考の哲学を実践したいんだけど、 まぁ、批判されるとどうでもよくなるからやっぱり自己完結させていた方が幸せなんだろうなぁと年取ってきてよく思うようになりました。
あ、あとMiddlemanのバージョンを4に上げました。